2012年4月1日日曜日

ヒトがヒトを殺すとき−進化論からのアプローチ− 長谷川 眞理子 氏


人間の行動、心理、芸術を進化的に見る

──本日は先生のご専門である「行動生態学」についてお話を伺いたいと思います。

まず、この学問はどういう研究をする分野なのでしょうか。

長谷川 動物の行動には、直接的な原因や動機のほかに、進化的になぜそのような行動が生じたのかという要因があります。採食、なわばり、攻撃、繁殖などのさまざまな動物の行動が、どのような進化の要因によって形成されているのかを探ろうというのが行動生態学です。

私は、これまで動物を研究してきましたが、最近は、人間の行動の研究に取り組んでいます。人間行動の進化的な研究は、欧米ではこの20年ぐらいの間に、理論的な研究の面からも実証的な研究も、大いに進んできました。芸術や宗教 なども含めて、人間の心理メカニズムが進化によってどのようにつくられてきたのかを探ろうとしています。

──先生は人間の何を研究対象にされているんですか?

長谷川 『殺人』について研究しています。殺人は、個人間に何らかの葛藤が存在する時に生じます。そのような葛藤のほとんどは、殺人にまでは至らないでしょう。小さな怒りで済むことだってあります。殺人は極端ですが、原因となっている葛藤自体は、人間が何に対して怒るか、何を本当に守るべきことだと感じているかを現しています。

──確かに、人とのもめ事で怒ることはありますし、「喜怒哀楽」というように、人間として自然な行為でしょうね。でも、殺人となるとどうかと思いますが…。

長谷川 そうですね� �人を殺すことは尋常な話ではありません。それは明らかに逸脱です。しかし、人と人との葛藤において怒るということそのものは、自分の立場や地位、主張、利益を守るためのもので、怒らないとそれらは守りにくくなります。殺人にまで至るのは極端な例ですが、それを調べることによって、人がどんな状況で自分の立場や利益をどうしても守らねばならないと感じるか、その潜在的な葛藤の性質を進化的に分析しています。


全く税金の痛みません

──殺人とは怖いテーマですが、とても興味深いですね。


圧倒的に男性の殺人が多い

──どのように殺人を調べるのですか?

長谷川 犯罪心理学者は、個々の事例を深く研究し、その人がなぜ殺人を犯してしまったのかを研究しています。私は、そうではなくて、全体の一般的なパターンをマクロに調べています。

国別、性別、年齢別に、そのカテゴリーの人口100万人当りにして何件の殺人があるかを計算します。全体の人口100万人当りの殺人率は、最近の日本では10人、アメリカでは95人、イギリスでは20人ぐらいです。国によって数値は非常に違います。しかし、どの国、どの文化でも、殺人率は、圧倒的に男性の方が女性よりも高くなっています。

──宗教、文化、経済状況などとは関係がないということですか。

長谷川 はい� �歴史的にも、また世界のさまざまな文化でもそうです。

さらにそれを年齢別に見ると、20歳前半の男性に鋭いピークがあり、30歳代から急速に減少していきます。このカーブの形は、統計のある限り、どこの国や文化でも共通しています(グラフ参照)。

ところで、男性が殺す相手は、男性、女性、どちらが多いと思いますか?

──何となくですが、男性…。

長谷川 そうです。世界的に見て圧倒的に男性が男性を殺す事件が多いのです。では、どういう葛藤から殺人に発展したのか、一番多い理由は何だと思います?

──お金でしょうか、それとも嫉妬とか妬み、それとも名誉とか…。

長谷川 自己の面子(めんつ)を守る、が最多です。それも第三者から見ればくだらない理由の� ��子、名誉なんです。例えば、酒場で馬鹿にされた、お前は何の価値もない奴だとののしられた、ジュークボックスにお金を入れたのは俺の方が先だ、ぶつかったのに謝らない、などなどといった口論に端を発する面子を守るための葛藤です。この本当の理由は自己評価、自己顕示欲の現れと考えて良いでしょう。


5月11日に生まれた人

──驚きました。考え方のぶつかり合いとか、社会的な名誉とかではないんですね。

長谷川 違います。もちろん、いろいろな殺人がありますが、多くは、新聞にも載らないようなものです。日本で1955年に起きた殺人のうち、男が男を殺した273件のサンプルでは、190件がこのようなくだらない口論によるもの、51件がお金がらみ、29件が性的嫉妬となっています。90年代のデータは現在分析中ですが、あまり変化はありません。

──殺人は、女性よりも男性が、それも20歳代が多く、その理由はくだらない葛藤による口論ということですか…。

長谷川 そうです。しかも、このことは、進化的に考えて納得のいくものです。有名な� �ャールズ・ダーウィンが最初に提唱した「性淘汰の理論」というのがあります。

性淘汰は、同じ種に属していながらなぜ雄と雌とはいろいろな点で異なるのかを説明する理論で、それには、配偶者の獲得をめぐる同性間の競争と、異性の選り好みという2つのプロセスが作用していると考えられます。シカの角のような形質は、たいていは、雄だけにしかありません。これは、配偶者の獲得をめぐって同性間で闘うときの武器として使われています。配偶者の獲得をめぐる競争が雄同士で闘われる場合には、雄に、このような武器的な構造が雄に発達します。一方、クジャクのきれいな羽やカナリアの美しい歌声などは、闘争ではなく、雌に対する求愛の表示として使われています。雌が、より美しい雄を選んできた結果、このような� ��質が雄の間に発達したと考えられます。

──なるほど、シカでいうなら大きな角、クジャクはきれいな羽、カナリアは歌声…。これらの優劣により、雄が淘汰されてきたということなんですね。

これが人間の葛藤の背景に当てはまるということですか?


"どのようにすることができ" "シルバー"

長谷川 そうです。人間も、配偶者の獲得をめぐる競争は、女性よりも男性においての方が強いので、口論で勝ちたい、高い自己評価を得たい、まわりから強い奴だと思われたいという欲求は、男性の方が強いと考えられます。クジャクの羽みたいなものですね。それも、20歳代は繁殖にさしかかる年齢なので、具体的な相手がいるいないにかかわらず、何に対しても男性の自己顕示欲がピークに達している時期だと考えられます。

──形は違えども、その根底には性淘汰の理論があるんですね。


性的嫉妬では男性が女性を殺す場合が多い

──ところで、サンプルの中にあった29件の「性的嫉妬」は、恋敵の男を殺したということですか?

長谷川 そうです。でも、性的嫉妬では、男性は女性を殺すことが非常に多いのです。自分が愛しているのに自分を捨てた女を殺してしまうのです。

──女性を殺すことは性淘汰において、どんな意味をなすのでしょう?

長谷川 これは、配偶者防衛の現れだと思います。雌は自分が子を産むので、自分の子であることが確かですが、雄は精子を送り込むだけですから、本当にどの雄の精子が受精に使われたのかは確かでありません。そこで、雄は雌の行動を逐一コントロールすることにより、確実に自分の精子で受精した子を残そうとし� ��す。これは、いろいろな動物、特に哺乳類の雄に一般的に見られる行動で、配偶者防衛と呼ばれています。

これが高じると、雌の生活のすべてにわたって行動を規制しようとするようになります。人間も哺乳類ですから、当然、男性による配偶者防衛があるでしょう。

──確かに、殺すことはしなくても、コントロールすることはありますね。

長谷川 そうです。男性の女性に対するストーカーも、家庭内で夫が妻に暴力を振るうのも、コントロールの逸脱でしょう。


世界的、歴史的に見ても男性が女性を殺すのは、女性が男性を殺す数に比べて圧倒的に多いのです。日本の55年のサンプルでは、夫婦に限っても、妻が夫を殺したのが24件に対し、夫が妻を殺したのが85件です。この85件のうち62件は奥さんの浮気や家出など、女性が連れ合いの男性を捨てたことに起因しています。つまり、夫が妻をコントロールできなくなった時です。

──本当に驚きました。実社会では、男女の能力などにおいて違いを感じることはあまりありませんでしたが、本質的、基本的なところはやはり違っていたんですね。

長谷川 これは、非常に基本的なことです。もちろん、文化的、社会的要因も考えていますが、進化的な背景を無視することはできま� �ん。これらの研究結果をこれまでに「人間行動と進化学会」という国際学会で発表してきましたが、今、論文を書いているところで、日本語で本も書こうと考えています。日本でも、人間行動の進化的アプローチによる研究を進めようと、今度、私と主人・長谷川寿一(東京大学大学院総合文化研究科教授)とで、日本の「人間行動進化研究会」をつくりました。メーリングリストには、人類学、心理学、行動生態学、経済学などさまざまな分野の方々が登録してくださっており、99年12月11日に第1回の研究会をやります。

──殺人というテーマを、人間の動物的行動として見ておられる先生の研究はとても新鮮な印象を受けました。学会のご発展とこれからの成果を期待しております。

本日はありがとうございました。



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